この時期になると、幼き日に母が着せてくれた、よそ行きの白いニットを懐かしく思い出す。
子ども心にウールのチクチク感が嫌で着ることを拒んでいたが、いざ外に出ると、冬の鋭く澄んだ空気の中で、まるで自分の周りだけが暖かさに優しく包まれて、何だか特別な時間を過ごしている様で嬉しかった。
私のニットの原体験は、きっとこのフンワリとした思い出なのだろう。
そんな私が、今ではどっぷりと洋服沼にハマり、この様な形でニットを語ることになるとは、もちろん当時は思いもよらなかった。
ライフスタイルの変化や素材の技術革新も相まって、近年の冬の装いは大きく変化してきた。
それでも、寒い冬を彩るのは様々な型のニット等で、それはある種の風物詩とも言えよう。
中でも、ローゲージニットの見事な編み立ての表情には、その深いルーツを感じさせられずにはいられない。
今回は、そんなローゲージニットの背景を探りつつ、ニットへの思いを整理したい。
あらゆる衣服を含む多種多様なルーツを持った文化は、世界各地に点在し、それらを結びつけ融合させていったのは、間違いなく戦争であり交易であり、人の営みである。
人は、異文化を互いに吸収しながら、今日に至る。
ニットの歴史において、その大きな役割を果たしのは、10世紀前後に隆盛を極めたヴァイキングである。
彼らは、世界中の海を渡り、その移動範囲はヨーロッパを越え中東や一部東アジア、さらには北アメリカ大陸北部にも及んでいた。
そんなヴァイキングの手によって世界中の文化の点が結びつき、その後の長い時間の流れの中で、ニットも一つの型に落ち着いていくことになる。
それが、17世紀〜19世紀に発祥したといわれる「ガンジーニット」である。
[ 有名なローゲージニットの分布図 ]
長い歴史の中で衣服にも様々なものが存在するが、統合し淘汰され今日までその姿を残すものは僅かであり、それは自然の法則に他ならない。
"ニットらしきもの等" がガンジーニットに結実し、それが今日のニットの元祖となったのも、ガンジーニットが機能性に優れ、そこで暮らす人々にとって何より有益であったからでしかない。
英仏海峡チャネル諸島 / ガンジー島発祥のこのニットは、屈強な海の男であった島の漁師達に愛された。
濃紺色で前後ろ同じ見頃、羊脂を残した原毛でギチギチに編み込まれたニットは、「シーメンズアイアン(船乗りの鎖)」と呼ばれた、まさに漁師達のユニフォーム。
防寒性と防水性に優れたガンジーニットは、広く漁をおこなっていたチャネル諸島の漁師の影響もあり、その近海に浸透し、またそれぞれの地域で独自の発展を遂げていく。
[ ガンジーニットを着るガンジー島の漁師 ]
[ アランニットケーブル編み ]
アイルランド西部のアラン諸島では、芸術的な編み込みを施した「アランニット」。
イギリスの最北部、シェットランド諸島の最南端の孤島フェア島では、華やかな色柄のパターンを持つ「フェアアイルニット」へと進化。
また、同じチャネル諸島のジャージー島では、スポーツウェアの元祖とも言える「ジャージーニット」へと枝分かれしていく。
これらのガンジーを元祖としたニットをまとめて、「フィッシャーマンニット(漁師達のニット)」と呼ぶのは、そんな流れが背景にあるから。
日本においては、複雑で芸術とも言えるケーブル編み等を施す、「アランニット」が最も有名といえるだろうか。
そんなアランニットの成り立ちには、素敵な言い伝えがある。
『アランニットは6世紀の昔より継承され、代々母から娘へと大切に受け継がれてきたニットで、その編み柄には豊穣/豊漁/安全といった思いが込められており、一つ一つの柄の違いは家紋の様な役割も果たしていた。
万が一の水難事故の時には、流れ着いた遺体の着用しているニットの編み立てを見れば、故人が判別できたと言われる。
島の女性達は心を込めてニットを編み、大切な人の安全を願って、仕上がったニットをプレゼントするのだ。』
なんともロマンのあるお話である。
調べてみると、現在でもあらゆる本やサイトにて語られているこの物語は、実は歴史の真実ではない。
時代が変遷する中で、プレーンなガンジーニットに表の編み柄を施す様になっていったのは事実だが、それは現在のアランニットの様子とは異なる。
アラン諸島の女性達がこれほどの芸術的な編み立てを行うようになったのは、そもそも20世紀に入ってのことであり、一人の天才的なニッターの登場によるものである。
マーガレット・ディレン。
アメリカへの奉公から帰国した彼女は、天才的な才能を開花させ、圧倒的な技量で次々とあらゆる柄を編み出していった。
そして、島の女性達もマーガレットに習い倣いながら、競うようにその技を発展させていく。
こうしてアランニットの原型が生み出されたのは、意外にも1920年のことだ。
あまりにも独創的で唯一無二のアランニットは、ファッションが世の中に広がるスピードに乗り、世界中で愛されるものとなる。
その過程で、セールストークの一つとして、先の伝説が語られるようになったのである。
それにしても、なぜ紺色のフィッシャーマンニットをベースとしたアランニットが、白のクリーンなものとなったのであろうか。
それは、アラン諸島のもう一つの風習にヒントがある。
アラン諸島では12歳を迎える男の子のための大切な儀式があり、その日のための正装として、真っ白のガンジーニットを着るのだ。
母親達は、我が息子の晴れの日のために、心を込めて白いニットを編んだのであろう。
マーガレットの登場後、当然ながらこの晴れ日の白いニットにも、様々な柄があしらわれていくこととなる。
つまり、島の女性達は、海の男達を想い紺色のガンジーニットを編み、息子の成長を願い白いガンジーニットを編む。
この二つの下地の上に、天才的ニッターが芸術的技量をプラスして、アランニットという一つのデザインに魂が宿っていったのだ。
懸命に技量を学び昇華させていった島の女性達は、自らが編み込んだ柄に誇りを持ち、ひと目見れば自身の編んだものは判別できたという。
伝説の物語とは、大きく違った歴史的事実。
だが、伝説を信じるに足るものとした、夫や子への愛情と編み物への誇り。
それらは、アランニットが「本物のクオリティー」を持つことの証左と言える。
アランニットの真実にも、また濃密で素敵な背景があったのだ。
もちろんアランニットに限らず、他の島々や山奥で編まれたニット等にも、きっと同じ様に大切な人への想いを紡ぐストーリーが、沢山秘められているに違いない。
その意味で、世界はこんなにも愛に溢れている。
そういえば…、幼少期に母が着せてくれた「あのチクチクするニット」は、白いケーブル編みのものだった様な気がする。
今振り返ってみると、そこに母の愛情があり、だからこそ「特別なもの」だと感じたのだと思う。
さて、今日は少し肌寒い。
そんな時は、私はざっくりと編まれたニットを着て仕事に向かう。
そんな ”暖かい” 冬の一日が、なんとも言えなく好きなんだよな。
フィッシャーマンニットの中でも、非常に人気の高いアランニット。
美しいケーブル編みと柔らかな乳白色が映える一着。
現地の雰囲気を感じるアイルランド製。
非常に凝った作りのショールカーディガン。
編み立ての組み合わせやカラーネップを使った表情、ダブル仕様のフロント等、そのクオリティと共にスペシャルな一着と言える。
[ カーディガンのお話 ]
カーディンガン発祥についても諸説ある。
『漁師に愛されたガンジーニットだが、機能性の高さから英国軍にも採用され、その姿を変えつつあった。
タイトで軍服の下に重ねやすく丈夫なガンジニットは大いに役に立ったが、怪我をした際には手当てのために引き裂くことも度々あった。
そこで、当時の「カーディガン伯爵」ジェイムズが、クリミア戦争時 (1853 - 1856) 時に前にボタンをつけて着脱を容易にしたことから発祥。
彼の死後、この前開きタイプのガンジーニットを「カーディガン」と名付けた。』
…というものが、最も有名な説。
ただ、これもどうやら眉唾の話。
前開きのニットは、ベストを参考に戦場では多数採用されていたとか…。
また、世界各地にも同様の進化を遂げたニットは存在しており、もはや何が正解であるかは窺い知ることはできない。
ちなみに「カーディガン伯爵」は、1661年から続くイングランド貴族の伯爵位である。
当時の伯爵ジェイムズは軍人として名を残したこと、現在まで受け継がれている名門貴族であること。
このことが、「カーディガン」という名前を浸透させるに至った理由であろうか。
非常に凝った編み立ての組み合わせ。
落ち着いたトーンのボディながら、カラーネップが気分を盛り上げる。
くるみボタンでダブルの仕様に、クラシックな意匠を感じる。
存在感のあるニットアウターとして重宝しそう。
フランス軍のコマンドニット。
こちらは [ STV社 ] 製のもので、本来は肩に付くエポーレットを外したもの。
エポーレットがなくなるだけで、不思議と洗練された印象に。
戦争の近代化によって、軍装はより機能性を求められた。
高い防寒性や防水性、伸縮性による可動域の広さ等、高い機能を誇ったガンジーニットも、当然の様に軍に採用されていくこととなる。
今では各国で採用されるコマンドセーター。
フランス軍のものは、スッキリしたフォルムで人気も高い。
STV社 1988年製。
スクウェアな印象のエルボーパッチ。